
日本の歴史と天皇・公家・武家
68回 2月15日(日) 69回 3月6日(金)
常設日本史講座(各回募集・連続型)

*見逃し配信が1か月以上付きます。
★中村先生の近代史講座は次ページです。
日本史をもう一度勉強したい人に最適です。一人で教科書のような本を買ってきても、なかなか読み進めません。歴史の表の出来事の裏にある、見過ごしてはならない潮流の話、論理性豊かな話は、講座があっという間に過ぎるほど楽しいと大評判です。まず、是非一度聞きに来て下さい!
講師:中村武生先生(歴史地理史学者、京都女子大非常勤講師)
☆ 中村先生のサイトに、先生が主宰する公開の講座やお土居堀ウォーク、都絵図ウォーク等の情報があります。2020年春からオンライン講座も始められました。
現在すべてオンライン講座です。
資料はファイルで当日朝10時頃、送ります。
参加費2000円
(事前振込、振込料はご負担下さい。振込先はお知らせします)
*放映後、見逃し配信あり(3週間視聴可)。
*2020年春からオンライン講座(1回2.5時間)に切り替えて
おります。30回までは会場で、1回4時間で行っていました。
〇 各回詳細なレジュメ作成(by アイリス京都)
〇 そのため復習が容易で、抜けた回があっても大丈夫。
〇 キャンセル料無料。但しご連絡下さい。
〇新詳日本史(浜島書店、950円)使用。会場で販売。
申込の際、お名前、何日の講座を希望するか、当日連絡が取れる電話番号を明記してください。
オンライン講座は、動画と資料の送り先を明記して下さい。資料はメール(ファイル)かファックスで。メール優先でお願いします。
ガイド目線・面白ポイント
これまでの講座(第1~67回)の内容
下線部をクリックするとレジュメが読めます
☆ (第18回)天皇家はなぜ存続したのか? 奇跡の連続+どこかに敬意が残っていた。
☆ (第17回)動くと言うのは、力が盤石ではないという考え方があった。
☆(第15回)朝廷は必ず、次の天皇を王家のどこかから探してくる努力をする。線引きはしっかり。
レジュメの文責:アイリス京都
安永8年(1779)江戸では10代将軍家治の時代(田沼時代)。京都ではこの年、天子英仁(後桃園院)が崩御。生まれたばかりの女子しかいなかったので、閑院宮祐宮(兼仁/後の光格天皇)が践祚(践祚して15年後、欣子内親王を皇后とする)。翌年、京都では『都名所図会』が刊行され大好評を博す。その翌年には即位の大礼があり、翌年の安永10年には天子の代替わりで「天明」に改元。天明時代には、天明の飢饉、将軍家治死去(跡取りがいなかったので、一橋家出身の家斉が11代将軍へ)、京都での天明の大火と次々と大事件発生するとともに、ロシアが接近を始め、公儀は国土防衛のために北方探検を命じる。
現在、天明8年(1788)。天子兼仁(のちの光格天皇)と11代将軍家斉の時代。ともに10代の青年。老中首座は松平定信(数え31)。この年、京都で天明の大火があり、禁裏も焼ける。そのため翌年、寛政へ改元(災異改元)。江戸時代の改元の説明あり。寛政元年(1789)京都で大事件「尊号一件」が起こる。天子の父親に太政天皇の位を与えたいというもの(天子は閑院宮家からなので父親は太政天皇の位なし)。当時、江戸でも似た状況があり、家斉の父・一橋治済を大御所にしようとする問題が生じていた。財政難を理由に松平は拒否。その後、松平の諮問に応えての『草茅危言』(中山竹山)の卓見、寛政の三奇人(高山彦九郎、蒲生君平、林子平)が紹介された。それらの三奇人は時代の先を見て、同時代的には理解されなかった。寛政4年(1792)ロシアの使節が蝦夷根室に到着し通商を要求したことから、日本は待ったなしの海防に迫られる。その時同時に戻った漂流民・大黒屋光太夫は軟禁されたが、蘭学者らは大黒屋から西洋に関する知識を得るよう努力した。
これまで日本はオランダ以外の西洋との接触を避けてきたが、寛政4年(1792)外圧が始まる。ロシアが正式な使者を送ってくる。しかし公儀の外国への窓口である長崎ではなく、蝦夷地の根室に来訪したため、結局国交を開く話し合いは行われず帰る。その際、漂流民の大黒屋光太夫と磯吉は日本側に引き渡された。幽閉の身となったが、蘭学者に情報をもたらす。この頃、正嫡ではない天子と将軍だった。その親に尊号を与えるか否かという問題が起こり、それを認めなかった老中首座・松平定信は失脚。田沼時代から蝦夷地の帰属を巡る課題への対処が始まっていた。引き続いて行われる。伊能忠敬による海岸線の地図ができる。文化元年(1804)ロシアの使者が再来日。開明派の松平失脚後で、拒絶される。これに怒った使者レザノフの部下が樺太と択捉島襲撃。文化4年(1817)兼仁(のちの光格天皇)は恵仁(のちの仁孝天皇1)に譲位する。
