近代史講座(各回募集・連続型)
中村武生先生(歴史地理史学者、京都女子大非常勤講師)
★ 2020年12月からオンライン講座に切り替えました! 1回2時間半
参加費2000円(事前振込、申し込んだ方に振込先をお知らせします)。
2週間見逃し配信あり。
近代史講座として続行しています。 冬季スペシャル講座です(12月と1月開催)。
2024年 8月11日(日)14~16:30 近代史第10回 オンライン講座 終了
見逃し配信:9月12日夜8時までありますので、お受けできます。
8月25日(日)14~16:30 近代史第11回 オンライン講座 終了
見逃し配信がいずれも1か月あります(多少の陳情は承ります)。
(2020年1月までは会場で行っていました( 1回4時間(午後))。
近代史を学ぼう
●近代史・第11回(2024年、8/25) <1904年(明治37年)~1907年>
日ロ戦争はロシアの極東支配地(満州)の利権を巡るロシア東アジア部局と日本全体の間の戦争。満州の入口の遼東半島(旅順・大連)と内陸の法典をとれば、日本は有利になる。必要な兵站基地と交通路をおさえるため、着々と大韓帝国を日本の支配下に治めていく。旅順での苦戦の後、占領に成功、奉天も落とし、やって来たバルチック艦隊に勝利。ロシアは国内の革命に手を焼き、日本はこれ以上の戦いは無理。ルーズベルト米国大統領の仲介でポーツマス条約で講和。日本は、賠償金は得られなかったが、遼東半島の利権と少しの領土割譲を得る。国内では、国民疲弊状態。社会運動が始まる。
●近代史・第10回(2024年、8/11) <1901年(明治34年)~1904年>
1901年、第三世代の桂太郎による内閣発足。日本は朝鮮と満州に進出したい。同じ野望をもつロシアに対抗しなくてはらなないが、ロシアには力では勝てない。それで、日英同盟を結んで英国に頼ることに決まる。1904年、2月4日対露宣戦決定。10日宣戦布告。朝鮮半島が戦場にならないよう日韓議定書等で手を打ち、アメリカに、日本が有利な内に停戦を斡旋してもらうよう依頼する。戦場は満州に入口辺り。バルチック艦隊が到着する前に旅順港を逼塞し、陸軍による奉天占領を目指す。当初陸軍はよいペースで進軍。旅順港を逼塞させるのは困難だった。当時の社会での議論等を一つ一つ吟味した。
●近代史・第9回(2024年、2/3) <1900年(明治33年)>
1900年頃、日本は条約改正のため近代国家になったことを示す必要から、諸法律が制定される。民法は一悶着の後、絶大な戸主権限を認めるドイツ風民法が施行。この頃、国内では劣悪な労働条件が社会問題化。その改善のため、労働運動が起こる。日本は日清戦争で大陸の足掛かりを得たが、清国は列強に浸食され始めていた。1900年の義和団事件が引き金になり、列強が北京に出兵(北清事変)。ロシアも日本も大量の兵を送り、そのまま駐留。これが次の火種になる。
●近代史・第8回(2023年、1/13) <1890 年(明治23)~1898年(明治31)>
1890年から帝国議会が始まる。初期議会(1~6回)では、衆議院で政府反対の民党と政府寄りの吏党の戦いとなるが、前者が人数で優勢で、なかなか政府案が通らない。その頃、日本の独立運営に朝鮮を領地とする努力が政府でなされていたため、軍事予算拡大が求められた。朝鮮での権益追求の中、清国と衝突し、1894年日清戦争勃発。運よく日本は勝利し、得た大きな賠償金は様々な施策に使われる。この頃、ロシアのシベリア鉄道敷設による東アジア浸出を怖れた英国は日本に近づき、長年の課題の治外法権撤廃が漸く実現(1894)。議会運営は多難で、内閣は短期でしばしば変わり、1898年、初の政党内閣の第一次大隈内閣成立。
●近代史・第7回(2023年、12/3) <1886 年(明治19)~1890年(明治23)>
1886年(明治19)、前年に発足した伊藤博文内閣の元での不平等条約改正(関税自主権取得と治外法権撤廃)模索中にノルマントン事件が起き、治外法権撤廃が優先されることになる。日本の裁判所に外国人判事を置くという井上馨外相案が暴露され、一度潰れていた自由民権運動が復活。1889年(明治22)主権在君の明治憲法公布(草案作りに伊藤尽力)。制限付きで信教と居住の自由が臣民に認められる。1890(明治23)第1回衆議院委員選挙、この年の暮れに第1回帝国議会。治外法権撤廃交渉が進むと思われたときに大津事件があり、交渉中止に至る。
●近代史・第6回(2023年、1/21) <1883 年(明治16)~1887年(明治20)>
1890年の国会開設に向けて、伊藤博文はドイツで憲法を学び、立憲君主制を選択。1883年帰国し、1884年、憲法発布と帝国議会の制度研究のための制度取調局設置し、華族令により、元老院を構成する人を選抜し着々と準備。一方、自由民権運動はひたすら激化し、困った自由党は解散する。1885年、太政官制度が廃止され、内閣制度発足。各省の長官が大臣となり、政治参加することに。伊藤が総理大臣に就任。井上馨が欧化政策により条約改正を試みるが、国内外の批判を浴び、ノルマントン事件で頓挫。
●近代史・第5回(2023年、1/8) <1878年(明治11)~1882年(明治15)>
1879年(明治12年)、沖縄県誕生。自由民権運動が高まりを見せ、政府は集会条例で対抗。しかし国会開設要求を無視できなくなり、自ら実現する方向へ向かう。その中で伊藤博文と大隈重信がぶつかり、岩倉の支持を得た伊藤が勝つ。1881年の勅諭が出され、10年後国会開設が決まる。政党が結成され私擬憲法作られる。経済状況悪化で地方財政混乱。世直しの期待で自由党が勢いを増すが、問題が発生し下火へ向かう。軍隊は自由民権運動に対抗すべく、竹橋事件を経て、軍人勅諭が出される(天皇大元帥)。政府で憲法づくりへの活動が始まる。
●近代史・第4回(2022年、12/18) <1877年(明治10)~1878年(明治11)>
1877年(明治10)2月~9月、西南戦争(熊本城、田原坂の戦い)。武家でない者を集めて作った新しい軍隊が旧士族の乱の鎮圧に成功。木戸孝允死去(東山霊山に葬られる)。立志社建白(国会開設を求める)。が政府は却下。第一内国勧業博覧会。1878年(明治11)、関税自主権交渉開始するが失敗。大久保利通の暗殺。
●近代史・第3回(2022年、1/23) <1875年(明治8)~1877年(明治10)>
いつ倒れてもおかしくない政府だが、徐々に中央政府として機能し始める。
大阪会議と「漸次立憲政体樹立の詔勅」・江華島事件と日韓修好条規
廃刀令・金禄公債証書発行・士族反乱・樺太千島交換条約
●近代史・第2回(2022年、1/8)<1873年(明治6)~1874年(明治7)>
留守政府の最後の大仕事(地租改正発布)。帰国した岩倉使節団と留守政府要人との対立から、政府の顔ぶれが変わる。
征韓論(主導権争い)・殖産興業・秩禄奉還の法・民撰議院設立の建白書・
台湾出兵・佐賀の乱(不平士族の初めての乱)・左大臣島津久光の建白書
●近代史・第1回(2021年、12/19)<明治5年~6年>
留守政府の時代(明治4年末~明治6年、岩倉使節団欧米視察)
戸籍・土地所有・政府組織・徴兵制・学校教育を巡る矢継ぎ早の改革。
睦仁天皇の巡幸、島津久光への政府の対処、文明開化等
明治維新 5回終了 下線部をクリックすると読めます。
但し文責はアイリス京都です。
●明治維新・第1回(2019年、12/22) <慶応4年・明治元年>
・五箇条の御誓文 ・五榜の掲示 ・太政官(新政府)の組織(政体書発布)
・天皇行幸(顔を見せる天皇) ・東京遷都 ・東北での戦い(戊辰戦争)
●明治維新・第2回(2020年、1/18) <慶応4年~明治2年頃>
・戊辰戦争の中、外国にどちらが支持されるか? ・版籍奉還への機運
・官吏公選(新政府より公家・諸侯出身者の排除に成功)
・版籍奉還(大名家廃止、知藩事任命) ・諸務改革の指令(大名家の内情報告命令)
・新政府が二官六省制に改組
●明治維新・第3回(2020年、12/12) <明治2年>
・国事殉難者の慰霊の開始とそこに至った道 ・東京奠都
・大村益次郎の遭難と徴兵制度への道 ・電信開通
●明治維新・第4回(2021年、1/17) <明治3、4年>
・神道にもどつく国民教化政策 ・キリスト教弾圧事件と禁制解除
・士族の不満と抑え込み ・近代国家の最初の刑法 ・社寺の上知令
●明治維新・第5回(2021年、1/30) <明治4、5年>
・御親兵設置 ・戸籍法 ・廃藩置県(=士族の廃絶) ・日清修好条規
・官制改革(三院制) ・四民平等 ・岩倉使節団
幕末 全8回 既に終了
●幕末・第1回(2018年、1/14) <1780-1850頃>
・徳川時代は「鎖国」の時代か? ・西洋の接近 ・ペリー来航(華夷・和親・海防)
●幕末・第2回(2018年、1/28) <1856-安政5年9月(1858)>
・幕末の重要なテーマは「海防」(今でいう「国防」) ・華夷秩序・社会復古思想の高まり
・禁裏の政治介入 ・通商条約 ・経済への影響 ・安政の大獄の始まり
●幕末・第3回(2018年、2/10) <安政5年10月(1858)-文久2年7月(1862)>
・安政の大獄・桜田門外の変 ・毛利の政治参加 ・浪士たちの動き
・島津久光の政治参加 ・安政の大獄を否定する改革
●幕末・第4回(2018年、2/25) <文久2年7月-8月(1862)>
・安政の大獄の反動
・天子と大名家の接触、盛んに ・幕末の京都の政治的地位の上昇
・徳川による浪士の活用 ・大政奉還論出現
●幕末・第5回(2019年、12/2) <文久2年9月(1862)-文久3年8月(1863)>
・江戸と京都の関係の逆転
・有力大名が天子とつながることで政治参加できることを知る ・中心は京都へ
・攘夷期限 ・将軍上洛 ・攘夷祈願の行幸 ・薩英戦争
●幕末・第6回(2019年、12/16) <文久3年8月(1863)~文久4年1月(1864)>
・八月十八日の政変 ・八卿都落ち ・長州の処遇 ・慶喜の横浜鎖港案
・公家武家合同の参与会議とその崩壊
●幕末・第7回(2019年、1/13) <文久4年 春(1864)~慶応元年9月(1865)>
・長州名誉回復の試み(進発か嘆願か) ・京都潜伏親長州浪士たちの動き
・元治国是で長州追い詰められる ・池田屋事件 ・禁門の変
・下関戦争の後の第一次長州征討で長州ほぼ無傷 ・第二次長州征討へ
●幕末・第8回(2019年1/27) <1865~1868>
・条約勅許 ・第二次長州征討で徳川勝てず ・家茂死去し慶喜、将軍へ
・天子統仁から睦仁へ ・時は大政奉還へ ・「王制復古」政変と王政復古政府
・鳥羽伏見の戦い ・江戸開城